たまむしさん2024/04/27 10:28

とても悲しいことがありました

コメント一覧

ホントですね💦
ありがとう😭
これからもみなさんご自愛下さいね〜❤️

たまむしさん
2024/05/14 05:37

>>まるちゃんままさん まるちゃんままさんのお家も大変だったんですね。ご主人が無事で本当に良かった!!
ノルとロシアンが身代わりになってくれたんだろうなとは、夫を含め家族全員が思っていた事です。獣医さんも首をかしげるようなタイミングでの発病だったので。
ノルもロシアンも発病の1~2ヶ月前に定期検診を受け、オールクリア。特にロシアンは注射の跡が腫瘍化する注射部位肉腫で、接種後すぐ発症するものらしいんです。うちの子はマイクロチップ挿入跡が腫瘍化していました。施術から9年近く経っているのに、です。

夫は急性心筋梗塞の処置中に一旦は心停止しました。手術前の検査で分かった尿路結石は直径3㌢近くあり、超音波破砕や投薬では対処できない状態でした。本来なら直ぐに手術が必要で、遅くとも年内に処置出来なければ慢性腎不全を引き起こすと言われました。結石のある方の腎臓が機能していないので、残った腎臓の負担が大きく、このままでは人工透析を受ける事になる、と。
ですが心臓の状態がある程度まで回復しなければ、その手術を受ける事ができません。年末に腎臓の手術を念頭に、心臓がどこまで回復するかが重要だと。

夫はお医者様も驚く程順調に回復しました。年末予定だった手術も10月に受ける事ができ、機能不全を起こしていた左の腎臓も2月に完治しました。心臓の薬を生涯服用しなければならないし、食事や運動に制限もありますが、以前と変わらない毎日を送っています。

そして夫の無事を見届けた後、😺達はあっという間に旅立ってしまいました。
夫の病気をそれぞれ持って逝ってくれたんですね。感謝しかありません。
いつか🌈の橋で会えた時に、いっぱい撫でて『ありがとう。また会えて嬉しい』って言いたいです💕

大変でしたね💦
我が家も、一昨年は主人の皮膚がんの治療ありました。
落ち着いてきたら、まるしぇが虹の橋🌈を渡っていきました。
こんなに辛い事が続くので、ホントになにも考えられなくなりました。
そのタイミングで主人が福島に転勤引っ越しになり、私の職場も辞めなくてはならなくなりました。なので、もう知り合いも居ないしまるしぇもいないし鬱になるからとMarcheくんお迎えしました。

1月に福島にきて、6月に主人がコロナで救急車で運ばれる緊急事態がありました。急変で死んでしまうかと思いました。
その時に主人が、息も出来ない身体も動かない声も出せない
で、Marcheくんがお腹に何度ものってきて、僕が死んだらこの子も困るんだろうなと意識が戻ったりしてたらしいです。
つまり、まるしぇがいない→福島→Marcheお迎え→主人助かる
壮大な運命だったんだなぁとびっくりです!
きっと飼っていた動物は亡くなるときに家の不幸を持って逝くそうです。
ご主人の心筋梗塞や病気が良くなったとき、きっとそれはそんな不幸を持って猫たちが逝ってくれたんですよ♪

たまむしさん
2024/05/13 13:29

>>まるちゃんままさん 尻尾の生えた家族を新しく迎える度に、この子は必ず先に逝ってしまうので最期まで傍にいてあげようと思い、そうしてきました。
記憶にある限り、必ず🐶😺が傍にいる生活を送ってきたので見送った子の数も両手に収まる数ではありません。

ただ今回は、まだ数年間は一緒にいるつもりだった子達が同じような病を発症し、続けさまに失ってしまったので、落ち込みが酷かったのだと思います。
ちょっと拙いので、今まで書いていなかったのですが…ノルのリンパ腫が確定した日に夫が急性心筋梗塞で倒れ(搬送先の病院で動物病院からの連絡を受けました😢)その時の検査で別の病気が見つかったりとか、夫と😺達の闘病に必死でしたが、濃い1年でした。

夫の病状が落ち着いて、ひと息ついた所で😺達が逝ってしまい、今度は私とユングヴィが一気に不安定になってしまい、体調を崩しました。多分、軽い鬱状態だったのだと思いますが…心配した彼が新しくやちか迎えてくれたんです。
やちかのお世話が楽しくて、毎日の生活に張りが戻った途端、今度はユンが発病。此処はどこの地獄だって思いました。
幸いユンは病気の発見が早く、抗がん剤の治療が上手くいっています。副反応で一旦落ちた食欲不振も収まり、体重も少しずつ戻ってきました。
寛解の可能性が十分あるので、このまま治療を続けても大丈夫だという安堵もあります。
何より夫が『多分俺が1番最初に😺達に会えるから、一緒に🌈の橋で待っててやる』と笑いながら言ってくれるので、じゃあ私も頑張るかって思えるようになりました。
もちろん、夫にそんなに早く🌈橋へ行って貰っては困りますがw

たくさん話を聞いてくださり、ありがとうございます。これからも仲良くして頂けると嬉しいです<(_ _)>

最後の看取りは人それぞれ、、ですよね。
正解なんかないですよ💧
鮮明に覚えています。
介護は3日と半日
3日は私と娘(3日間休みでした)
半日最後はパパ(有給とってくれました)

突然お漏らしして、誰もわからなくなってしまったんです。
辛くて途方にくれました😣
オムツをして寝かせて、、、苦しむときは抱っこして撫でであげました。
トイレに行こうとするんですよね💦
水も自力で舐めて、もっとちょうだいって顔をして、スポイトであげました。
もう明らかに病院行ってダメだとわかりました。17歳でしたし。
チュールをスプーンひとつ初めて食べました。チュールが好きじゃなかったんですよ😌でも3日で一本たべました。給餌はそれだけにしました。

一度大きなカミナリがあって、その時意識が戻って、パパのソファにズリズリと泣きながらはっていきました。まるがパパを恋しがってました。(仕事で居ないので)

パパに看取って欲しかったのかもです。

3日目にスゴイもがいたんです。
でも逝かなかったのはパパとも過ごしたかったのかもですね。

最後の日私は仕事でしたけど、もう後悔はありませんでした。でもただひたすら寂しかったです😞

斎場の方が、アゴの骨がもう溶けてましたよ、本当によく長生きしたんですねと言ってくださいました。
17年も居たのだからものすごく辛いんですけど、あー天寿を全うしたのだとひたすら泣きました。
どうぞ
どんな最後を迎えようともご自身を責めたり、した事を後悔なさらないでくださいね。
絶対感謝して虹の橋で🌈でまってますから🐈ご家族を大好きなんですから。

たまむしさん
2024/05/11 15:19

>>まるちゃんままさん 助からない事が分かっているなら…😺が辛くない最期がいいですよね。
うちのノルウェージャンは、腫瘍のせいで早い時期から嗅覚がダメになってしまい、お腹が空いているのに食べることができない(フードを食べ物として認識できない)という状況に陥っていました。水は自力で飲んでいたし、排泄もきちんとできるのに…食べ物だけ受け付けない。でも『ごはんだよ』と声を掛けると自分の食事スペースに移動して待ってるんです。食べたいのに食べられない姿が、可哀想で、可哀想で😢何とか食べて欲しくて試行錯誤を繰り返した闘病生活でした。
亡くなる2ヶ月くらい前からは、仔猫用のムースを日に3回給餌していました。口を無理矢理開け、1㌢弱くらいの塊を喉に落として飲み込ませていたのですが、やはり量を食べられず、足りない分を医療用高カロリー食で補うという形です。
一定量を食べられるようになったので体重減少も止まり、回復の兆しが感じられたと安堵したものです。
最期の日は突然でした。
朝の給餌が終わっても、まだ食べたそうな素振りを見せるので、高カロリー食を与えると完食。トイレを済ませてキャットタワーに登り、窓から外を見ていました。
今日は調子がいいな、ずいぶん元気だと安心した事を覚えています。
家事を済ませ、洗い終わった洗濯物を取りに行った時です。ガタガタッという大きな音が聞こえました。慌てて戻ったリビングの床、キャットタワーの傍にノルが倒れていて、動けないようです。タワーから落ちたのだと、一瞬で分かりました。
かかりつけの病院に連絡すると『待っているからすぐ連れて来てくれ』と言われ、急患として最優先で診て頂けました。幸い怪我は無く、脱水気味なので輸液を受けると鳴いて動けるようにもなりました。念のため入院されますか?と言われたのですが、長い闘病で病院が苦手になっており、入院がストレスになるからと自宅に連れ帰る事にしました。
帰宅して少しの間はお気に入りのクッションの上で休んでいたのですが、急に大きな声で鳴き出して…立ち上がり私の方へヨロヨロと歩いてこようとし、倒れてしまいました。明らかに様子がおかしく、もう駄目な事が分かりました。
夫の息子も仕事に行っており、私1人しかいません。膝に抱き上げ藻掻く体を撫でながら、『頑張ったね。もういいよ。もう楽になっていいんだよ』と声を掛ける事しかできませんでした。自力でごはんを食べられなくなっても時に、諦めればよかったのか。まだ動けるし、水も飲んでいる。トイレだって自分で行っているんだからと生きる事を強制して、長く苦しませてしまったのではないかと後悔しました。
そして2日後に腫瘍の肺転移が見つかったロシアン。肺癌は本当に手の施しようがなく、溜まった胸水を抜き、呼吸を楽にしてあげる事しかできませんでした。水も普通のごはんも受け付けなくなって、高カロリー食を僅かに舐めながら弱っていく姿が忘れられません。
今は治療が上手く行っており、元気に過ごしているユングヴィですが…また症状がぶり返し、苦しい思いをさせるくらいなら、安楽死を選びたいと思います。
そして少しでも長く幸せな生活を送れるよう、全力を尽くそうと思っています。

我が家も
ご飯食べて、寝て、ンコしてくれたら元気❤️このルールで神経質にならないようにしました。
いろいろ通院ルールを決めて、夫婦子供たちと揉めたりもしながら😀過ごしてきました。
ご飯も自力で食べなくなった時に夫ともう病院はやめようと言って自宅で看取りました。
チュール舐めたり、水飲ませて!

最後の病院のときに、今までしなかったシャーっと威嚇したんです。
点滴も押さえつけられたのも嫌だったのだろうと通院をやめました。

3日間私と娘とで交代で徹夜の看病しました。
最後の日は夫が有給をとって看取りました。
おっしゃるとおり、穏やかとは言い難い時間が何度もありました。
でも最後は反射という状況だから苦しくないんですって書いてある医師のブログがありました。
そう信じて抱きしめました。
あんなに病院が嫌いなのに連れて行ってどうするんだ!と夫と決めたからです。
獣医師には今までの治療には感謝しかありませんが、猫には恐怖しかないのでしょうし🤭
良かったと思ってます!

たまむしさん
2024/05/10 16:30

>>まるちゃんままさん うちはノルウェージャンがリンパ腫、ロシアンブルーが注射部位肉腫でした。
ノルは去年の3月に左鼻腔内の腫瘍が見つかり、11ヶ月の闘病を経て虹の橋の許へ旅立ちました。
ロシアンは7月に見つかった肩甲骨の間の腫瘍を8月に切除。一旦は回復したのですが…、ノルが亡くなった2日後に肺転移が分かり、3週間ちょっとで後を追うように逝ってしまいました。
ノルは10歳、ロシアンが9歳での発病でしたが、まるちゃんままさんと同じで、苦しい思いをさせて長生きさせたいのではなく、残された日々を幸せに暮らして欲しいのだとお医者様に伝えて治療を始め…2匹共、私の膝の上で逝きました。
それでも最期は苦しそうで…。:゚(;´∩`;)゚:。
高齢期に入ったばかりで体力あり、大柄な😺だったので消耗するまで時間が掛かったのだと思います。老衰で眠るように亡くなった先々代とは、苦しみ方が違っていて。:゚(;´∩`;)゚:。
ユングヴィは先代2匹より更に大型のベンガルでベスト体重は7㌔近くありました。病名は低悪性度消化器型リンパ腫。症状は食欲不振、嘔吐、下痢です。
完治はしないので、抗がん剤を使って寛解を目指す治療を行い、今は小康状態ですが…再発するとそれまでに使った抗がん剤は効果が無くなり、新たな抗がん剤で治療を行う事になる(しかも効果が落ちる)そうです。
寛解まで持っていけたら1~2年(個体によっては
3年)は発病前に近い状態で暮らせるようなので、夫や子どもと話し合い、再発した場合は安楽死をお願いすると決めました。お医者様にもそう伝えてあります。安楽死に否定的な病院もありますか、今お世話になっている所はそうではないので、ユンとって最善と私達が思う事を認めて頂けたのが嬉しかったです。
おかげで肩の力が抜けたのか、開き直って闘病生活を送っています。毎日おいしくごはんを食べて、遊んで、眠って。幸せな日々を少しでも長く続けられますように🎵

先代猫も年齢的にたくさん病気になってしまいました。
治療する時に
医師に長生きしたいんではなくて、幸せに生きていきたいので、辛い入院したり痛い治療は避けたいんです。と言って入院しなきゃならないのを毎日通院にしたり、点滴は必要最低限で、最後はやめました。
体力的に辛いのが目に見えてきたので、緩和治療の点滴も考え方では辛い日々の延長させると思いました、、、。
どうぞ少しでも健やかにお過ごしくださいね🙏

たまむしさん
2024/04/28 20:16

>>いっちさん こんばんは。コメントありがとうございます。
1年の間に愛猫2匹をガンで失い、八尋のおかげで立ち直った矢先の事だったので…とてもショック。:゚(;´∩`;)゚:。
辛い思いをせずに過ごさせたいという希望は、治療方針を決める際、いちばん最初に伝えました。
ユングヴィが少しでも長く、幸せに過ごせるよう私も頑張りますね。

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