😸マリーと考える自由😹

グリュケン・パパです🙋🏻‍♂️
市民公開講座用の問題提起部分だけの動画を制作し、投稿しました😅

内容は約60分×複数回です。
しかし、その動画は、面倒くさい権利関係があるので、私のYouTubeやミテミテなどで公開できない状況です。

今回ミテミテにアップした部分:内容的には「石川・カント哲学を考える」は、キーワードのみの動画ということで😅公開OKでしたので、アップしました😀

Ps:にゃーにゃのしもべさん、参考になれば幸いです😹

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コメント

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Liebeさん
2022/09/11 17:34

>>にゃーにゃのしもべさん 👏👏👏👏
私は、何度も、何度も、読むたびに、新たな発見があるので、楽しいです🕺🏻🕺🏻

ケンちゃんパパさん とてもそこまで 考えるに至りませんが、単語の説明記載ページのタグがだんだんふえてきています🤣😅

Liebeさん
2022/09/11 13:53

>>にゃーにゃのしもべさん にゃーにゃのしもべさん、こんにちは🙋🏻‍♂️

人類にとっての脅威は、感染症なのかもしれませんね🤔
あるいは人間そのものが、人類の脅威なのかもしれません🤔

いずれにせよ人間は「不完全な生き物である」ことを「知る」必要がある、と思ってます😅

そんな「不完全な人間」が有する「理性」のはたらきによって、「魂」を認識できるのか? 
ですね😂

そもそも「理性」とは「何か」、を明らかにする必要があります。
その後に「理性」のはたらきは「何か」、
そして「理性」で、「何を」、「どこまで」認識できるのか?
だと思います。

これらの一連の問いが、カントの純粋理性批判のテーマの1つです。
そこで、カントは「理性」を批判的に検討したのです。
その点については、「カント入門」に記述されています。

次に「何」とは「なにか?」です。

われわれの感覚器官よって、認識したもの(現象)が、「何らか」の現象と言えるためには、現象の元となる「もの(物)」があるはずです。
この「現象の元となる『もの(物)』」をカントは、「物自体」とよんだのです。

例が適切ではないですが、「煙」を「煙」として「認識」できるのは「火」があることによって、それが煙であると認識するのです(原因と結果の関係です)。

「火」がなければ「煙」ではないわけで、そのよに見え「煙」のように思えたのは「幻」であり、つまり「仮象」なのです。

ところが「煙」が見えたと思い込んだものは、「煙」ではなく、「霧」かもしれません。

「霧」という概念と「煙」という概念に加えて、前者と後者の概念ごとに「原因と結果の関係(因果関係)」が作用し、それぞれを総合して私たちは判断しているのです。
そのような判断を「分析判断」と区別し、カントは「総合判断」とよんだのです。

「霧」や「煙」という概念の違いは、その原因の違いであり、これは科学的認識とされています。

しかし、いわゆる科学的認識とは「分析判断」であり、その物の内部を分析する頃によって、現象の理解します。

例えば「海」という概念の場合、「海」を分析すると「海」の成分が明らかになります。
その結果「海水」と「真水」とを区別して、認識するのです。

しかし「海」には「紅海」「黒海」「黄海」があります。
それは「海」を分析しても「紅」「黒」「黄」という概念は導き出されないのです。

このような私たちの認識を、カントは、「経験的実在性」をもつ「現象」に対して、は「主観的な表象」である「仮象」とし、現象と仮象を区別しました。
つまり仮象は、私たちの「思い込み(臆見:ドグマ)」なのです。

かなり荒っぽい説明なので、理解いただけないかもしれませんが、石川先生の「カント入門」に詳細に記述されています。

「魂」も、それは私たちの「思い込み」なのかもしれません。
なぜならば、私たちの理性では、「魂」の存在を証明することが「無理」だからなのです。

さらに科学の基礎となっている「経験論」には、多くの問題点あることに、カントは気づき、人間中心論的な「経験論」と「理性」を批判的に検討したのが「純粋理性批判」なのです。

人間は、感性界に属し、さらに理性界にも属しています。
しかし、人間の理性は、不完全な理性なのだということを、私は石川先生との対話を通じて学んだつもりです😅

そして「理性とは何か?」「感性とは何か?」「『何』かとは、なにか?」「悟性とは何か?」「人間とは何か?」「行為とは何か?」「意志とは何か?」「『意志』と『意思』の違いは何か?」、「善とは何か?」、「悪とは何か?」、「犯罪とは何か?」、「真理とは何か?」などなど、一つ一つ潰しているというわけです😅

また長くなってしまいました🙏
最後までお読みいただき、ありがとうございます🙇

ケンちゃんパパさん 魂そのもの自体はあればいいなと思いながらも無いと なんとなく思っていましたが その思いが仮象なのかな?と考えるようになったのも この本を手にしたからでしょう。それをどう考えてゆくのかまではまだ読み進んでませんでした😂🤣😅 もう少しかかりそう😁😁
最近のコロナと言い、SARA, エボラ出血熱や 古くはカミュのペスト、デカメロンの背景、銃・病原菌・鉄(倉骨彰)などを読むと、人類が滅亡するなら、核戦争ではなく感染症の気がしますよね😅 幸い今までのウイルスは 感染力が増す変異意図もない毒性はが減ると言う特性を維持していたようですが、今後も必ずしも同様とは限りませんからね。

Liebeさん
2022/09/10 16:24

>>にゃーにゃのしもべさん カント入門は、読めば読むほど、その文章に、石川先生の精神を感じます🤔
かなり前に、私が石川先生に「人間の魂は不死と言えるのでしょうか?」と尋ねたことがあります。

その時、石川先生は「魂の不死は証明できないが、文字・文章によって、『その物自体』を伝えることは可能である」と仰ったのです。

カント入門は、石川先生の魂が、文字→文章→本という形態となり、私たちに語り掛けているように思います。

さらに、「証明とは、何をもって証明と言うのでしょうか?」も同時に尋ねました。
カント入門の中で「証明とは何か」に関する記述がありますので、参考にしていただければと思います。

ところで、この週末は、どこの居酒屋も満席状態ですね😮
それを見て、モ~😲ビックリ😲ですよ🤔

新型コロナウイルスの新規感染者数が、前週と比較して減少しているとは言え、2020年1月から今日までの新規感染者数の山は大きく、減少したとしても、前回の山より下回っていないですよね🤨

統計学や医学(ウイルス学)素人の私が見ても、新規感染者数のトレンドは、いまだに「増加」と考えた方が妥当なのではと感じています。

さらに医学やウイルス学素人の私なので、今回の漸減傾向の原因は、分かりませんが、
直近1週間の人口10万人当たり感染者数(9月9日統計)だけを見ると、
第1位が鹿児島県(874.8人)
第2位が宮崎県 (870.63人)
第3位が長崎県 (760.69人)
第4位が岡山県 (758.97人)
第5位が高知県 (745.36人)
第6位が佐賀県 (743.53人)
です😮

この数値は、首都圏の東京(523.17人)、千葉(472.94人)、神奈川(410.63人)、埼玉(501.3人)と比較しても、有意差があるように思います。

直近1週間の人口10万人当たり感染者数が、なぜ首都圏よりも地方が多いのか?
移動(旅行など)だけが要因だとは言い切れず、他の要因と相まって、地方での感染者数が増えているようにも思います。

このような状況の中で、全数調査を止めるのは、現状を隠蔽するためとしか思えません。
もちろん医療現場の入力業務の負担が大きいことも分かります。

全数調査を中止するのではなく、全数調査を継続するための対策実施が、喫緊の課題だと感じています。

今まで政府は、人類に対する脅威である新型コロナウイルスという認識がないまま、今日に至っていることに、私は大いなる危機感を感じています。

新型コロナウイルスは、侮れない人類の強敵かもしれないのに🤨

また長くなってしまいました🙏
最後までお読みいただき、ありがとうございます🙇

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