オイラが住んでいたのは、兵庫区です。震災の夜停電していたんですが、発電機があったので、家がつぶれた近くの知人とNHKのニュースを見てました。すると、近くで火災があり、これは非難したほうがよさそうだという事になり、夜9時ごろ市街から郊外の親戚の家に身を寄せたことを思い出しました。たまたまうちは人的被害はなかったので、ああ、もうそんなになるかという感じです。でも、発災直後まず声をかけたのが、一緒に暮らしていた両親で、その両親の安否を確認後、周囲で身内の安否確認をする呼び声を聞きながら、近くに住む弟家族の安否確認に向い、彼らの安否を確認したのち、周辺の埋まっていた人の救助活動に参加しました。家族のうち一人でも欠けていたなら、違った感慨を持ってこの日を迎えたと思います。
大変でしたね。友人も何人か被災しました。
落ちついた段階で、ボランティアに行きましたが、道路が波打ち、立ち並ぶ住宅がぐにゃぐにゃで地震の力の大きさを実感しました。地震の瞬間は揺れを感じ、かなり大きく、そして長い、もの凄く長いが感想でした。テレビを付けると阪神高速の倒壊。
大変な事になった。そして、その思いの何千、何万倍の災害になりました。
あらためて亡くなられた方々のご迷惑をお祈りいたします。
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